TR整体テクニック誕生秘話

1964年愛媛県今治市に生まれる。

愛媛県今治市はタオルと造船の町。瀬戸内海に面した穏やかな気候の港町。

この年代の人の多くがそうであった様に、決して裕福ではないけれども、大きな怪我も病気もせずに、少年時代をこの町で過ごしました。

子供の頃から背が高く、大きいいので目立ちました。

でもそれだけ。けして、スポーツが得意なわけでもなく、勉強も出来ない。
本ばっかり読んでる、今で言うと陰キャな子供でした。

高校進学も危ぶまれるほどの成績でしたが、地元の工業高校になんとか滑り込めました。

勉強なんて大嫌いなんですが、工業化学と言う専門科目が、案外自分の肌にあい、それと同時に、勉強する楽しみを覚えて、

入学当時は最下位近かった成績がぐんぐん上がっていき、2年生から卒業までは、一番、或いは二番を取れるまでになっていました。

それと同時に、本ばっかり読んでたので、文系だと思っていた自分が、実は意外に理系だった事に気がつきました。

その当時は思いもしなかったのですが、今、理論的な施術家でいられる礎は、この時にあったのかも?

高校当時は部活もせず、勉強、アルバイト、映画って生活でした。

特に映画は好きで、本気で映画監督になりたいと思うほどでした。

それ系の専門学校に行こうと、調べたりしましたが、今の様なネット社会ではないので、これといった情報も集められず、

また、家も進学出来るほどの裕福な家庭でもなかったので、地元の食品会社に就職しましたが、肌に合わず、三年で退職してしまいました。

それからは、経験してない職種の方が少ないのかな?ってくらい様々な職種を経験しました。

日本では仕事を変えてばかりの人はよくないみたいな所がありますが、自分は今の整体の仕事の貴重な財産となっていると思います。

最終的に大手飲料会社の代理店へ落ち着きました。32の時に結婚もして、娘も1人生まれました。しかし、転機が来ました。

自分が38歳の時、その大手飲料会社が、不祥事を起こして、代理店の売り上げにも大きな影響を与えてしまいました。

代理店は健全経営だったのでリストラされるとか言うのはなかったのですが、自分の給料が出てない状況、また、漠然とした将来の不安から、このままこの仕事でいいのか?何か手に職をつけるべきでは?って思う様になりました。

その当時飲料販売機を置かせて貰ってる整体院の院長先生とお話しして、整体の仕事をさせていただくようになりました。同時に、整体の養成校も紹介してもらい、そこで勉強するようになりました。

今では、考えられない事ですが、20年前は、今ほど情報が乏しく、柔道整復師、はり師、きゅう師、按摩マッサージ指圧師と言う、国家資格を取るべきって理解してない人が多くて、自分も多分に漏れずその1人でした。愛媛県に専門学校もありませんでしたし。

整体の仕事をしようと思ったのは、高校生の頃見ていた「必殺仕置人」の、バキバキってのに憧れてたって言うなんとも不謹慎な理由と、その当時趣味でトライアスロンやマラソンにハマってたので、身体を楽にするって仕事に興味を持ったからです。

全く未経験だった事を覚えようとするので大変なことばかりで、また、当時施術を受ける人は辛口で厳しい人が多く、なんどもダメだしを出されたりと、心が折れそうになりましたが、不思議と、整体をやめたいとは思わず、先輩や同僚を捕まえて、夜遅くまで練習をしました。

しかし、一年くらいした時に、色んな無理が祟ったのか?脳梗塞を起こして倒れてしまいました。

幸い手術も必要なく、二週間ほどの入院だけで、後遺症も残りませんでしたが、もう、この整体院で働くのは無理かな?と、退職させ手貰う事になりました。

自分から頼み込んで働かせて貰った恩義のある院長先生に後足で砂をかける様なやめ方になったのは、自分の生涯の後悔です。

もう、整体の仕事はやる事はないな?っと、全然違う仕事に就いたのですが、何故か、知人から、整体をして貰えないか?と言うような事が度々あり、自宅の和室で、マットで整体をしたりしてました。

何を思ったか、これは独立開業出来るのかも?と無謀にも自宅横に整体院を建て、開業してしまいました。

今にして思えば、なん無謀、無計画なんですが、それからは、苦難の連続です。

開業から一年くらいは、案外、順調にクライアントさんが増えていってたのですが、そこから、ピタリと伸び悩み。

次女も生まれて、生活は益々困窮していく。

早朝、深夜とアルバイトをしながら食い繋ぐ日々。

それでも、整体の探究を続ける事は諦めず、色んな技術を追求し続けました。

新しい技術は積極的に取り入れて、自分は整体師って信念で、クライアントさんに対しても、その信念を曲げず、クライアントさんを失ったりもしました。

たまにしか来ないクライアントさんには、「自分の思いつきで来ても結果は出ない」と言ったり、

筋肉痛程度の中高生を連れてくる親御さんには、「怪我とか故障じゃないんだから、自宅でストレッチでもしたら」とか、今では考えられない様な発言です(゚o゚;;

家内にも「せっかく来てくれるのに、誠心誠意やりなさい」って言われる始末(゚o゚;;
さらに何を思ったか、200万円を越す電気治療機をリースして、その支払いで地獄の連鎖にハマる事になりました。

しかし、この電気治療器が自分の施術スタイルの転機にもなります。

今まで、時間待ち、サービス程度に思われてた電気療法が、主軸になる様な施術が出来れば、自分の特色になるのでは?と、特になんの知識のない状態で、リースした電気治療器でしたが、そこから電気に対して必死で勉強しました。

ただ、リースを終わった頃にはその機器は御臨終を迎え、新たな機器を購入する馬力もなく、しかしその頃には電気療法に相当精通していたので、安価な家庭用治療器で代用する事を思いつきました。

それから、いわゆる治療家が目に止めない様なリーズナブルな家庭用機器を色々購入して、独自の電気療法を確立していく事になります。

この電気療法の発見は、整体と言うのは手技療法に留まらない事を教えてくれました。

そこからは電気療法でなく、筋膜リリースや、運動療法を積極的に取り入れ勉強し、独自の施術スタイル(TR整体テクニック)を確立させました。

今では多くのクライアントさんに満足していただける様になりました。

整体に限らず、大切なのは方法論でなく結果だと思います。

そして、良くなると言う事をゴールにせず、悪くならないことをゴールにする整体を提供しています。

そして、今も大好きな整体を続けれています。

最後まで読んでいただきましてありがとうございました。

TR整体テクニックは、あなたの健康にかならず貢献します。あなたのよりよい生活の為に役立ててもらえればこんなに嬉しいことはありません。

私は凡庸に毛が生えた程度の整体師です。もちろんゴッドハンドでもありません。

私のように、特別な才能に恵まれず、沢山の挫折や悩みを繰り返しながら、それでも整体師として頑張っていれば、多くのクライアントさんの悩みに立ち向かえます。

いつかあなたとお会いできる日を楽しみにしています。

青野 鋼

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